ブレイクスルー社会学
われわれの「社会」の学問、社会学は、身近にも感じるが、実は広くて深いもの。効率よくまとまったゼミネット公務員講座の社会学を、ちょっと読み込んでみるWEB版特別講義です。第4回は「南北戦争後にスタート!アメリカ社会学の発展」!
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第4回 南北戦争後にスタート!アメリカ社会学の発展

1 初期アメリカ社会学
アメリカ合衆国では、南北戦争後の産業化と都市化による社会の変化に伴い、社会学が発展した。当時のアメリカ社会学を代表するのがサムナーやウォードである。彼らはスペンサーの社会進化論に大きな影響を受けていた。
2 サムナー「フォークウェイズ」
アメリカで初めて社会学の講義を行ったサムナーは、社会生活の様々な慣習をフォークウェイズモーレスに区別して説明した。フォークソングやフォークダンスというように、フォークとは「人々に受けつがれた」という意味だから、フォークウェイズは「人々に受けつがれた方法」というような意味である。人間はみな似たような欲求をもっている。その欲求をうまく満たすことのできた方法は、親から子へと受けつがれ、社会的・文化的に決まったやり方となる。これがフォークウェイズである。
【ここがポイント!】
★個人の欲求を満たすためのうまい方法も、みんながそれを行うようになると、今度はそれに従わないことが集団や社会の利益を損なうようになってくる。例えば、駅のエスカレーターの片側を空けておいて、急いでいる人が歩けるようにするというのは、誰が考えたのかうまい方法だが、絶対に守らなければならない決まりではない。しかし、ほとんどの人がこの方法に従うようになったら、それに従わない人は交通の流れを妨げる迷惑なトンデモない人だと思われ、冷たい視線を浴びることになる。このように個人の利益よりも集団の利益を守るために、個人に強制されるようになったフォークウェイズをモーレスという。モーレスとはラテン語で、英語のモラル(道徳)の意味である。
★同じフォークウェイズを共有している集団では、メンバーは「われわれ」という感覚、つまり仲間意識をもつようになる。このような集団を内集団という。それ以外の集団は仲間ではない「彼ら」であり、これを外集団という。内集団の結びつきが強いほど、反対に外集団に対しては敵意を抱くようになり、外集団のフォークウィエズを低く見るようになる。これが自民族中心主義(エスノセントリズム)である。わたしたちも外国の珍しい風習を見たり聞いたりして「野蛮だ」とか「遅れている」とか感じることがあるのではないだろうか。このように自分たちを基準にして、他の文化をさげすむことがまさに自民族中心主義なのだ。

3 社会心理学
アメリカで発達したプラグマティズムの哲学(人々の知識がもたらす効果を重視する立場。ジェームスやデューイらが有名)の影響を受け、社会学でも社会心理学的研究が進んだ。クーリーやG.H.ミードがその代表である。

4 クーリーの「鏡に映った自己」
わたしたちは「自分」というものをどのようにして知るのだろう。そのとき重要なのは他人の目である。わたしたちは、周りの人々の言葉や態度を手掛かりにして、自分が他人にどう見えているのか、そして他人は自分をどう評価しているのか想像する。自分の顔は鏡に映さないと見ることができないのと同じように、わたしたちは自分を他人という「鏡」に映すことによってしか見ることができない。クーリーはこのようにして得られる自己意識を鏡に映った自己(鏡映的自己)と呼んだ。このように他者との関係を通して、社会の一員として形成される自己意識を社会的自我という。
【ここがポイント!】
★社会的自我は、幼いころは家族、そして遊び仲間、次にご近所、というような集団の中で、顔をつきあわせて生活しているうちに形成される。クーリーはこのような対面的で親密な、社会性の基礎となるような集団を第一次集団と呼んだ。
★ところで、わたしたちは第一次集団の中だけで生活しているわけではない。コンビニやファーストフード店では、店員の人柄を気にしたりしないし、誰が作ったハンバーガーか気にしたりもしない。買い物が済んだら、もう店員とは何の関係もなくなる。このように一時的で、限定的な関係でなりたっているのが第二次集団である。ただし、これはクーリーの命名ではなく、彼の後継者が第一次集団と対になる概念として提出したものである。
社会学イラスト

5 G.H.ミードの自我論
社会的自我の形成についてさらにくわしく論じたのがG.H.ミードである( 『サモアの思春期』を著した文化人類学者マーガレット・ミードと区別するために、G.H.ミードと呼ばれることが多い)。子どもは初め、両親など親しい人々(重要な他者、意味のある他者)との関わりの中で、母親や父親など様々な役割があることを学ぶ。これを役割取得という。子どもがままごと遊びで、お母さん役やお父さん役を演じているのがこの段階である(ごっこ遊びの段階)。
 色々な役割を学ぶことによって、例えば母親に対しては子どもとしての自分、祖父母に対しては孫の自分というように社会的自我が作られていく。やがて子どもの生活の範囲が地域や学校というふうに広がっていくと、そのような具体的な関係の中での役割を演ずることは難しくなっていく。なぜなら、多くの人々が自分に対してそれぞれ色々な役割を期待していて、その全てにこたえることはできないからである。そのため、そのような様々な期待をひとまとめにし、一般化された他者の視点として受け入れる。これを規範の内面化あるいは社会化という。一般化された他者とは、自分の母親のような具体的な他者とは違って、世の中とか世間一般の人々がこうするだろうというイメージである。例えば野球をするときに、いちいちメンバーの顔色をうかがわなくても、一定のルールに従うことでゲームを進めることができるようになる(ゲームの段階)

【ここがポイント!】
★このように形成された社会的自我には2つの側面がある。 1つは、一般化された他者の期待をそのまま受け入れた自我である。つまり他者が「わたしを」見て、「わたしに」期待する姿だから、これをme(客我)という。しかし、わたしたちは他者の期待にそのまま従うのではなく、その期待に対する反応として自分から行為をする。このような主体性をもった自我の側面をI(主我)という。
★ミードの、他者との間でなされる行為を重視する立場(社会行動主義)は大きな影響力をもち、彼が教えていたシカゴ大学はシカゴ学派と呼ばれて当時のアメリカ社会学の中心となった。


ゼミネット公務員講座で、わかりやすく解説しています。
次回は
「大都会シカゴのひずみから社会を探れ!」です。ご期待ください。

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